| 1953年 | 名古屋に生まれる。雪が降っていたらしい。 |
| 1957年 | 大江幼稚園入園。毎日泣いてばかり。半分くらい欠席。 |
| 1959年 | 大生小学校入学。伊勢湾台風に出会う。以後、台風とお友達。ピアノを習い始める。レッスンでは毎回泣いてばかり。 |
| 1965年 | 南光中学校入学。下校時間まで教室で4人テニスに夢中。ヴォルフ・フェラーリの「マドンナの宝石」間奏曲がお気に入り。 |
| 1968年 | 明和高校入学。男子生徒から、なぜか「親分」と呼ばれる。バレーボール、鉄道同好会所属。マーラーの交響曲を聴く。オーケストラのスコアに興味をもつ。 |
| 1971年 | お茶の水女子大学入学(音楽教育学専攻)女ばかりにびっくり。卒論はマーラーに決めていた。 |
| 1972年 | フランスのポップスター、ミッシェル・ポルナレフの「哀しみの終わるとき」に出会う。人生の大きな転機。以後フランス音楽に興味を持つ。 |
| 1973年 | 大学3年の時に初めてラヴェルのオペラ「子供と魔法」を指揮する。指揮法を全く知らないのにオーケストラに文句だけ言う。 |
| 1974年 | 小林研一郎先生に弟子入り。恐いレッスン。指揮者になろうと決意する。 |
| 1975年 | お茶の水女子大を卒業後、東京藝術大学指揮科に入学。入学試験では試験官の先生を怒鳴る。指揮科合格は私一人。また1年生。 |
| 1976年 | 二期会の「夕鶴」公演の副指揮者として各地に出向く。在学中、多くのアマチュア・オーケストラを指揮する。合間に大学に行く。 |
| 1979年 | 指揮科卒業演奏はサンサーンスの交響曲第3番。大学院に進む。留学先はパリ、コンクールはブザンソンと決めていた。 |
| 1980年 | 群馬交響楽団の音楽教育のための演奏会指揮者になる。毎日、演奏会ばかりでなかなか大学には出席できない。 |
| 1981年 | 大学院修了後、国際ロータリークラブの奨学生として、パリ・エコール・ノルマル音楽院の指揮科に留学。デルヴォー先生に師事。大好きなパリの生活が始まる。フランス人の友人がいっぱいできる。 |
| 1982年 | ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。フィンランド人のオスモ・ヴァンスカ氏とリールドール賞を分かち合う。帰国後、東京藝大指揮科の講師になる。雑誌のインタビューの連続。 |
| 1983年 | 「若い芽のコンサート」でNHK交響楽団を指揮。そしてデビューコンサート。(雷雨)初めて、大学の入学試験官。守衛さんに「君、君、受験票は?」と呼び止められる。トゥールーズ管弦楽団、ブリュッセル放送交響楽団など指揮。ザルツブルグ、ウィーンでも演奏する。エイボン女性藝術賞受賞。 |
| 1984年 | レディース・オーケストラを指揮。なぜ女性ばかり?『メリー・ウィドウ』を指揮してオペラデビュー。ピットで指揮する楽しさを覚える。 |
| 1985年 | パリ・シャンゼリゼ劇場でラムルー管弦楽団を指揮する。突然の雪で交通機能マヒ。開演を30分遅らせる。 |
| 1986年 | 車の免許を取る。以後ずっとトヨタのチェイサーを愛する。練馬交響楽団と出会う。 |
| 1987年 | 芦屋交響楽団と出会う。以来ずっとおつきあい。『こうもり』指揮。 |
| 1988年 | オペラ『カルメン』指揮。難しかった。 |
| 1989年 | トーマのオペラ『ハムレット』日本初演。 |
| 1990年 | 東京・名古屋に松尾葉子の後援会発足。頼もしい皆さま。TOYP大賞受賞。 |
| 1991年 | オペラ『コシ・ファン・トゥッテ』指揮。イタリア語に苦労する。 |
| 1992年 | 大潮展に水彩画初入選。徹夜で絵を描く。エアロビクスを始める。 |
| 1993年 | 芦屋交響楽団とベルリン、ウィーンへ。「マドモアゼルがシェフだって」、2003年に新装改訂版「指揮者にミューズが微笑んだ」出版。 |
| 1995年 | 階段を転げ落ちて右肩脱臼。左手だけの不自由な、しかし、たくましい生活。 |
| 1996年 | オペラ『椿姫』指揮。その後、イタリア語の学校に通う。 |
| 1997年 | 練馬でオペラ『アイーダ』指揮。その後、何回もアイーダを指揮する。 |
| 1998年 | セントラル愛知交響楽団客演常任指揮者。びわ湖ホールのジルベスターコンサート指揮。司会と指揮に大活躍。 |
| 1999年 | セントラル愛知交響楽団常任指揮者に就任。(~2004年)いろいろなプロデュースをすることに夢中になる。藝大の生徒たちとピアノ発表会を開く。生徒はいやいやピアノを弾く。NHK「ようこそ先輩」に出演。名古屋の母校の小学校で収録。 |
| 2000年 | 能楽堂でオペラ『ドン・ジョヴァンニ』上演。着物・袴にたすき掛け。 |
| 2001年 | 中日新聞「紙つぶて」、東京新聞「放射線」に連載。毎週、原稿に追われる。ニューヨーク・カーネギーホールで「第九」を指揮。 |
| 2002年 | ブザンソン優勝から20年記念コンサートを後輩たちと開く。 |
| 2003年 | 「異説カルメン情話」(浄瑠璃と日本舞踊の振り付けによるオペラ)上演。大成功。名古屋にて女声合唱団マドンナ「かきつばた」を結成。編曲も始める。 |
| 2004年 | 文化庁の海外研修派遣でパリに80日滞在。パリ管弦楽団にて研修。生活が便利になったパリに感激する。テニスプレイヤーのナダル(当時18歳)に魅かれ以後ずっと大ファン。テレビでの試合応援が大変。 |
| 2005年 | 愛知万博のドームにて「異説カルメン情話」を上演。アンサンブル・フォルテ結成。なぜかベートーヴェン。トリフォニーホール・ジュニア・オーケストラ誕生。たくさんの子供とお友達になる。 |
| 2006年 | 女声合唱曲集「6つのエスプリ」を出版。おもしろい編曲が好評。中日新聞「エンタ目」記事連載。書くための演奏会を探すのに苦労する。 |
| 2007年 | オペラ『マクベス』指揮。シェークスピアを読み直す。文化庁の主催する公演で想像を絶する国内移動をする。嫌いな飛行機にどれだけ乗ったことか。 |
| 2008年 | 東京藝大指揮科の招聘教授になる。パソコンに向かう時間が多くなったので、ジムに通って鍛え始める。ますます元気になる。「指揮者、この瞬間(とき)」出版。 |
| 2015年 | 愛知県立芸術大学客員教授になる。学生オーケストラは大変上手い。ただ、おとなしい。 |
| 2016年 | 第4回名古屋グッドエイジャー賞を受賞。なぜかメンズ・ファッション協会から。 |
| 2017年 | アムステルダム・コンセルトヘボウホールで北西ドイツフィルハーモニーとヴェルディの「レクイエム」を演奏。慣れないドイツ語に必死になる。初めて行ったアムステルダムもホールとホテルしか見ていない。愛知県文化芸術選奨の文化賞をいただく。 |
